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中村さん無事と大統領顧問 隣国パキスタンで拘束
共同通信社 24日20時21分

 【テヘラン24日共同】イランのハシェミサマレ大統領上級顧問は23日、同国南東部で昨年10月に誘拐された横浜国立大4年、中村聡志さん(23)について、隣国で拘束されているとして「わたしの知る限りでは、彼は無事だ」と述べた。共同通信とのインタビューで語った。ハシェミサマレ氏は、中村さんの解放に向けたイラン当局と武装集団の交渉が何度も行われていると説明。
<訃報>ダン池田さん72歳=バンドマスター
2月21日20時27分配信 毎日新聞

ダン池田 ダン池田さん72歳(だん・いけだ<本名・池田啓助=いけだ・けいすけ>バンドマスター)昨年12月25日、呼吸不全のため死去。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻節子(せつこ)さん。

 「ダン池田とニューブリードオーケストラ」のバンドマスターとして、69〜85年にフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」で歌手の伴奏を務めた。NHK「紅白歌合戦」では13年間、指揮者を務めた。85年には告白本「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」を出版した。




バンドマスターのダン池田さん死去
2月21日22時0分配信 時事通信


 ダン 池田さん(だん・いけだ、本名池田啓助=いけだ・けいすけ=バンドマスター)07年12月25日、呼吸不全のため東京都の病院で死去、72歳。韓国ソウル生まれ。葬儀・告別式近親者で済ませた。喪主は妻節子(せつこ)さん。
 「ダン池田とニューブリード」を結成し、「夜のヒットスタジオ」「NHK紅白歌合戦」などで演奏を担当。85年にバンドマスターを降り、芸能界の裏側をつづった著書が話題を集めた。 

最終更新:2月21日22時47分




ダン池田さん死去していた…“夜ヒット”や紅白で伴奏務める
2月22日8時3分配信 サンケイスポーツ

 フジテレビの人気音楽番組「夜のヒットスタジオ」の伴奏などを務めたダン池田さん(本名・池田啓介)が、昨年12月25日、呼吸不全のため都内の病院で死去していたことが21日、分かった。72歳。最盛期はレギュラー番組8本を抱えたが、60年に暴露本を出版。芸能界から追放され、寂しい晩年を送っていた。

 ダンさんは平成10年に脳梗塞(こうそく)を患い、自宅で療養生活を続けていたが、昨年11月13日に室内で転倒。頭を打って再入院し、帰らぬ人となった。葬儀は妻の節子さんが喪主を務め、本人の遺志で近親者のみの密葬で済ませた。

 ダンさんは昭和10年ソウル生まれ。敗戦で両親と共に帰国した。ダンは、中学時代にフォークダンス指導員を務め“ダン助”と呼ばれたことに由来する。44年にビッグバンド「ダン池田とニューブリード」を結成。“夜ヒット”などの人気番組の専属バンドになり、NHK紅白歌合戦の紅組伴奏を13回も担当した。

 しかし、60年11月に暴露本「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」を出版。70万部を売ったが、芸能界の裏側を実名で書いたため、追放の形で一線から退かされた。

 その後は地方の歌謡大会の伴奏や審査員などで活動。表舞台で仕事ができなくなったこともあり、寂しい晩年を送っていた。だが、本人は周囲に「寂しかったこともあるが、当たり前のことを書いたまでだから」と漏らし、後悔はしていなかったという。

最終更新:2月22日8時44分




「夜ヒット」などで指揮ダン池田さん死去
2月22日9時42分配信 日刊スポーツ


 「ダン池田とニューブリード」のバンドマスターとして、数々の音楽番組で活躍したダン池田(本名池田啓助=いけだ・けいすけ)さんが昨年12月25日午後7時18分、急性呼吸不全のため都内の病院で亡くなっていたことが21日、分かった。72歳。旧朝鮮・京城府(現ソウル市)生まれ。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。喪主は妻節子(せつこ)さん(64)。
 節子さんによると、ダンさんは約10年前に脳梗塞(こうそく)を患い入院。退院後は自宅で療養生活を送っていたが、右半身に軽い障害が残り、その後も何度か発作に襲われたという。昨年12月13日に自宅で転倒し頭部を強打。頭蓋(ずがい)骨内部に出血もあり入院、そのまま帰らぬ人となった。節子さんは「芸能活動を離れて20年近くもたっており、静かに眠らせてあげたかった。それが故人の遺志でもあると思います」と話した。今月11日には四十九日法要を行い、ダンさんの実弟や学生時代の親友、音楽関係者らが集まって故人をしのんだ。
 ダンさんは「ダン池田とニューブリード」の指揮者として、フジテレビ系音楽番組「夜のヒットスタジオ」「オールスター家族対抗歌合戦」などで活躍。NHK紅白歌合戦でも指揮者を務めるなど、ひげをトレードマークにお茶の間の人気者だった。
 一方、「日本の芸能界がアメリカのショービジネスとあまりに乖離(かいり)することに義憤を感じ」85年に芸能界の告発本「芸能界 本日モ 反省ノ色ナシ」を出版した。芸能界の実態を実名告発してベストセラーになった。翌年には第2弾も出版。しかし、この告発本が芸能界の反感を呼び、ダンさんは芸能界の華やかな世界と決別、ディナーショーやバンドなどマイペースで音楽活動を続けていた。

最終更新:2月22日9時42分
「主婦の友」5月発売号で幕、創刊から91年
2月13日3時5分配信 読売新聞

 1917年(大正6年)2月創刊の老舗女性誌「主婦の友」(主婦の友社)が今年5月発売の6月号(通巻1176号)で休刊することが、12日分かった。

 購読層や読者のライフスタイル、関心が多様化する中、部数が低迷したのが理由と見られる。

 「婦人倶楽部」「婦人生活」「主婦と生活」とともに4大婦人雑誌として人気を集めたが、他の3誌が80年代から90年代にかけて次々と休刊する中、最後の1誌となっていた。

 同誌は、主婦向けに生活情報や教養を提供する婦人総合誌として「主婦之友」の名称で創刊。健康や家計、料理などの実用記事だけでなく、大正期にいち早く女性の社会進出や参政権といった話題を取り上げるなど、幅広い内容で女性の生き方をリードしてきた。

 53年に現在の名称に変わり、戦後のピーク時には約70万部を発行したと言われるが、93年には生活情報誌へ誌面を刷新。生き残りを図ったが、長引く雑誌不況の中、近年は部数が低迷。昨年の日本雑誌協会のマガジンデータによると、毎号の平均発行部数は、約16万部に落ち込んでいた。

最終更新:2月13日3時5分