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パキスタン:ブット元首相暗殺される 党集会会場で銃撃
イスラマバードの自宅周辺に敷かれた非常線の前で支持者に囲まれ演説するブット元首相(中央)=2007年11月9日、栗田慎一撮影 【ニューデリー栗田慎一】パキスタンの首都イスラマバード近郊のラワルピンディで27日、パキスタン有力野党「パキスタン人民党」総裁のベナジル・ブット元首相(54)が暗殺された。来年1月8日の総選挙に向けた同党の集会会場から立ち去ろうとした際に狙撃された。狙撃した男は直後に自爆、周りにいた少なくとも20人が死亡した。ムシャラフ大統領は「テロリストの悪意に満ちたたくらみは、打ち負かされるだろう」と暗殺を強く非難した。総選挙を前に有力政治家のブット氏がテロの犠牲になったことで、パキスタン情勢が混迷を深めるのは確実だ。

 ブット氏は、首と胸を撃たれ、病院に運ばれたが、まもなく死亡した。AP通信は、人民党幹部の話として、午後6時16分にブット氏が死亡したと伝えた。ロイター通信は目撃者の話として銃撃は2発と報道した。犯行声明などは出ていない。暗殺は会場の入り口付近の路上であり、ブット氏を見送るため、多数の支持者でごったがえしていた。


自爆テロのあった現場で負傷者を運ぶ人々=AP ブット氏の死亡で、人民党はカリスマ的な指導者を失い、大きな打撃を受けることになった。政権の足元が揺らいでいるムシャラフ大統領は今月15日に非常事態宣言を解除、ブット氏と総選挙後の協力協議を続けるなど政局の安定を目指していたが、選挙後の連立政権の枠組みの変更を迫られることになる。さらに大統領とブット氏の「連携」により、核保有国・パキスタンの安定を望んでいた米国も、民主化を含めた対応策を根本から練り直すことになりそうだ。

 ブット氏は10月18日、8年半ぶりに南部カラチに帰国した直後のパレードでも自爆テロに遭い、支持者ら約140人が死亡している。ブット氏はこの時、防弾ガラスが施された車にいて、けがはなかった。

 一方、ブット氏が犠牲となった自爆テロの直前に、現場から約15キロの場所で、有力野党「イスラム教徒連盟ナワズ・シャリフ派」の支持者らが銃撃され、少なくとも3人が死亡した。支持者らは、ラワルピンディで演説予定だったシャリフ元首相を出迎えようと路上で待機していた。シャリフ氏は当時、現場から南に約20キロ離れた場所を車で移動中で無事だった。


 ◇ブット氏略歴

 ブット氏は1953年6月21日、アリ・ブット初代首相の長女としてカラチで生まれた。69〜77年に米ハーバード大と英オックスフォード大に留学。77年の軍部のクーデターで自宅に軟禁され、その後、英国へ亡命。86年に帰国し反政府運動を展開した。88年11月、ハク大統領の死亡に伴う民政復帰選挙でブット氏率いるパキスタン人民党が勝利。同年12月に35歳でイスラム教国家初の首相に就任した。

 90年8月、当時のカーン大統領に首相を解任された。93年に一時首相に復帰したが、96年に再び解任された。99年には汚職などで禁固刑の判決を受けたが、服役を拒否して出国。今年10月18日、8年半ぶりに帰国していた。

毎日新聞 2007年12月27日 22時42分 (最終更新時間 12月28日 1時14分)




ブット元首相の死因をめぐる政府説明、側近は「嘘八百」と否定
AFP 2007年12月29日 07:09 発信地:イスラマバード/パキスタン

ベナジル・ブット元首相に銃を向けていたとされる身元不明の襲撃者パキスタンのテレビ局が放映した、ラワルピンディ(Rawalpindi)で行われた選挙集会でベナジル・ブット(Benazir Bhutto)元首相に銃を向けていたとされる身元不明の襲撃者(2007年12月28日提供)。(c)AFP/DAWN TV


【12月29日 AFP】(一部更新)パキスタンのベナジル・ブット(Benazir Bhutto)元首相の死因をめぐり、同元首相の側近が28日、政府の説明を「嘘八百」と否定した。

 同国内務省は同日先刻、ブット元首相の死因について、自爆テロ発生時に伏せようとした際、車両のサンルーフに頭をぶつけたことによるものとし、銃弾や爆弾の破片は遺体から発見されなかったと発表した。自爆テロ犯はブット元首相に向けて発砲したが、弾はそれたという。

 これに対し、同元首相の側近で弁護士でもあるパキスタン人民党(Pakistan People's Party、PPP)議会派幹部Farooq Naik氏は「根拠がない。嘘八百だ」と非難し、「ブット元首相の腹部と頭部にそれぞれ1発ずつ、計2発の銃弾が命中した」と述べた。

 Naik氏は、「ブット元首相の死は取り返しのつかない損失なのに、政府のそのような主張でこの事件はお笑い草にされようとしている。パキスタンは内戦に向かって突き進んでいる」と主張。さらに、「彼女は出血しており、病院に運ばれた。これは警備上の重大な過失だ」と訴えた。

 自爆テロでブット元首相が死亡したのを受け、パキスタン全土で暴動が発生した。これまでに少なくとも33人が死亡し、無数の建物や車両が放火されている。(c)AFP




ブット氏最後の言葉は「ブット、万歳」
AFP 2007年12月30日 19:45 発信地:ロンドン/英国

【12月30日 AFP】暗殺されたベナジル・ブット(Benazir Bhutto)パキスタン元首相の最後の言葉は「ブット万歳」だったと、英サンデー・テレグラフ(Sunday Telegraph)紙が30日、暗殺時近くにいたブット氏の主任政治顧問の話を伝えた。

 ブット氏は20日、パキスタン北部の都市ラワルピンディ(Rawalpindi)で選挙集会を終え、車に乗り込むところで殺害される直前、この言葉を叫んだという。ブット氏の政治顧問Safdar Abbassi氏は、車の後部座席に乗っていた。

 ブット氏の死を車の中にいた人物が語ったのは事件後初めて。「彼女はそれ以上、何も言わなかった」と同氏は述べた。

■「身を伏せただけだと思った」と側近

 Abbassi氏は事件を振り返り「突然、発砲音がした。私は銃声だと思った。彼女のほうを見ると、発砲音を聞いて身を伏せたように見えた。撃たれたのだとは私たちの誰も思わなかった」と述べた。

 その後、車のサンルーフ越しに後ろに下がるブット氏を見上げたが、その直後に大爆発が起こったという。ブット氏は一言も発せず、左首に負った深い傷から血が滴っていることにAbbassi氏気づいたという。Abbassi氏の妻Naheep Khanさんがブット氏の頭部を膝に乗せ、自分のヘッドスカーフで傷口を押さえ噴き出る血を止めようとしたが、血は首の下方からブット氏が着ていた青色のチュニックにまで広がったという。

■1台目に乗ることは、ブット氏が選択

 車列の車の2台のうち、ブット氏は1台目で移動することを選んだという。「彼女は笑顔で非常に幸せそうだった。先に私を車内に入れ、私の前に座った。周りは群衆でいっぱいだったので、私もスローガンを叫び始めた」

 ブット氏は支持者たちに手を振ろうとサンルーフから身を乗り出したという。「私が『ブット氏に声援を』と叫ぶと、彼女は『ブット、万歳』と応じた」

 その直後、銃声が響いたという。「われわれは、彼女は身を伏せたと思ったが、実際には倒れたのだった。一言も発しなかった。一瞬、彼女は発砲で混乱して何も言わないのかと思った。われわれは分かっていなかった。すると大爆発が起こった。爆弾の破片が車体に当たり、運転手が急いで車を発進させた。あたり一面、血だらけだった。ブット氏の首も服も。やっと彼女は撃たれたのだと悟った。彼女は何も言えなかったのだ」

■搬送段階で生存の見込みなし

 Abbassi氏によると、ブット氏は集中治療室に運び込まれた時点では生きていたという。しかし、負傷の状態は非常に深刻で、生存の見込みはまったくなかったという。「医師たちは最善を尽くしたが間に合わなかった。私はまったく楽観的過ぎた。彼女には何も起こらないと思っていた。まだブット氏が生きているように感じる。もはや、私たちとともに彼女がいないとは信じられない」

 サンデー・テレグラフ紙の報道では、涙ながらに会見に応じたAbbassi氏は、まだブット氏の血痕が着いたシャツを着ていた。(c)AFP
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