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広島の前田智が地元で快挙達成! 史上38人目の2000本安打
9月1日18時58分配信 スポーツナビ

カープ前田2000本安打達成“孤高のバットマン”が地元で快挙! 広島の前田智徳外野手が1日、広島市民球場で行われた中日戦で史上38人目(米大リーグに在籍している松井秀喜、イチローを含む)の2000本安打を達成した。


 前日の試合で2安打を放ち、快挙まであと1本と迫った前田はこの日、「5番・レフト」で先発出場。第1打席は痛烈なゴロも、高校の後輩である荒木雅博の好捕もあってセカンドゴロ。以降、センターフライ、セカンドゴロ、セカンドゴロ併殺打と4打席凡退で迎えた8回、2死満塁の第5打席。2ボールからの3球目、真ん中のストレートを引っ張ると、痛烈なライナーがライト前に転がるヒット! プロ野球史上38人目、広島では山本浩二、衣笠祥雄、野村謙二郎に続いて史上4人目となる2000本安打を達成した。

 息子2人、チームメートの新井貴浩、中日の立浪和義から花束を贈られた前田は、はにかみながらも29541人集まった大観衆に手を振った。

■前田智徳/Maeda Tomonori
 1971年6月14日生まれ。熊本県出身。熊本工高−広島(1989年ドラフト4位)。175センチ、80キロ。右投げ左打ち。熊本工高時代は2年春、夏、3年夏と3度の甲子園出場。1989年のドラフト会議で広島にドラフト4位で指名された。1年目から1軍で出場経験を積むと、2年目からレギュラーに定着し、ゴールデングラブ賞を獲得。3年目には3割8厘と初の3割超えを果たし、ベストナインを受賞した。1994年には中日・パウエルと最後まで首位打者争いを繰り広げ、打率2位となる3割2分1厘を記録。1995年には現在もプレーに大きな後遺症を与えている右アキレス腱断裂の大ケガでシーズンのほとんどを棒に振った。翌年、105試合に出場して復帰。98年には打率3割3分5厘の高打率を残すが、横浜・鈴木尚典に2厘届かず首位打者はならなかった。99年には左アキレス腱を痛め、2001年はルーキー以来の本塁打0本に終わる。02年に123試合に出場し、打率3割8厘でカムバック賞を受賞。05年には93年以来の全試合出場を果たし、自己最多の32本塁打を放った。11シーズンで打率3割以上を記録し、打率10傑には10度ランクイン。打撃タイトルはなし。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞4回。


前田智、2000安打達成!…史上36人目

 新人だった1990年6月6日のヤクルト戦で初安打を放って以来、プロ18年目、1895試合目での偉業達成だった。

 95年に右アキレスけん断裂の大けがを負ったが、不屈の精神で復活し、球界を代表する選手として活躍してきた。打率3割を超えたシーズン11度は現役で最多。

 ◆前田智の打席別結果
第1打席 1回 二ゴロ
第2打席 3回 中飛
第3打席 5回 二ゴロ
第4打席 7回 二併殺
第5打席 8回 右前打 打点2

 前田智徳・広島外野手「最高の形で回ってきたので、ここで打たないわけにはいかないと思った。きょうという日を一生忘れることはない。たくさんの方に助けていただいたし、迷惑もかけた。ありがたい、というその気持ちだけです」

 広島・ブラウン監督「素晴らしい数字で、長いキャリアの証明だ。故障など逆風を経験したからこそ、彼にとって特別な数字になるのでは」

 衣笠祥雄氏(広島OB)「入団した時の前田選手と、今の前田選手をつないでいるのは「練習」でしょう。時には故障という不運に見舞われましたが、けがに勝ち、きょうの喜びを勝ち取った。そんな君に拍手です」

 山本浩二氏(前広島監督)「わがことのようにうれしい。誰もが認める打撃センスを持っていた。けががなければ、もっと早く達成しただろうが、本当によく頑張った」

 広島・松田元オーナー「入団発表のインタビューの時に、質問が気に入らなかったのか、口下手でしゃべれなかったのか、ひと言も答えなかった姿がとても印象に残っている。数々の栄光と大きな挫折を乗り越え、少年が大人になり、そして父親になっていった18年を思い出します」
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